1992年4月5日から1996年2月29日まで、サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争により、軍隊に包囲され12,000人が死亡し、50,000人が負傷したものと推定されている。うち85%は一般市民であったとされている。
このサラエボ包囲に、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏の夫人と長女が脱出出来なくなり、およそ4年間、銃弾の飛び交う街での生活を余儀なくされた。エディン・ジェコ(ボスニア/サッカー選手)も4年間サラエボ包囲の中で練習を続けていた。
内戦によるサラエボ包囲により、子どもたちは4年近く家から出られくなった。電気も水道も無い。スマホやテレビなど勿論無い状態で外出出来ない子どもたちは、ストレスが募りDVを始めた。親を殴り、家の中で暴れ始めた。これを人道的な危機として北大西洋条約機構(NATO)が、サラエボ地区に入り、早朝子どもたちが運動出来るように、周囲を囲んで守った。
その後、子どもにとって「身体を動かす遊び」(スポーツ)は、必要不可欠なものとされ、「United Nations Office on Sport for Development and Peace」が設立された。